さて、コロンビアから帰ってきて月曜日から出勤、無事に一週間が過ぎようとしています。9月17日の大行動が終わってから、モルフォも少し落ち着いて事務所にいてもゆったりとした空気が流れています。
今週はスタッフ会議を時間の都合で火曜日と木曜日に分けてやり、上の写真は火曜日のものです。この日はアルバイトで雇っている介助者の人の税金の問題が浮上。事業所の登録をやろうとすると付随的に、様々な手続きをしないといけないようになってきています。モルフォの介助者の人たちは、現在独立事業主として働いてもらっていて、本当は入らないといけない保険等をモルフォは免除してもらっている状態です。
しかしながらそれでも独立事業主として、登録して必要経費があれば差し引いて税金を納めないといけないなどの説明がありました。昨日はあるメンバーがタクシーを使いすぎている問題と、アルバイトの介助者に仕事を頼みすぎ、コーディネーターがもっとやるべきでは?などというのが議題でした。
月曜日、これもちょっと暇になって来たからという和やかな歓談シーン。久しぶりに筋ジスのジョバンニにCONAPDISのマウリシオも来ていました。
月末の水曜日はシフトが出る日です。写真のように介助者・利用者が集まって、まず読み上げながら間違いがないか確認し、その時々の問題になっていることを話します。すばらしいですね。
そして今日は理事会メンバーとの会議です。モルフォの代表、副代表、事務局長とアルフォンソ、ジョナタン、フランシスコの理事会メンバーです。これもきっちり一月に一回行われています。
さて先週コロンビアから帰国し、月曜日から通常どおり出勤してモルフォで働いています。精算の作業に追われていたのですが何とか目途もついて来たので、まず一番気になるのは自立法の進み具合を振り返っておきます。
ぼくがいなかった期間も含めて現在までをおさらいしておきますね。まずこの自立法は、正式には「障害者の自立促進のための法律」といい、#17305という法案番号が振ってあります。国会のホームページがありこの#17305で検索すればこの法案が2009年3月に最初に提案されてから直近まですべての手続きが記録されています。
お蔵入りしてしまう危機を何回か迎えながらも何とか持ちこたえたこの法案を昨年5月に始まった現政権で本格的に法律にする方向になりました。障害者委員会で修正を加えながら議論を重ね、先7月1日に委員会で承認され、8月13日には本会議での審議待ちリストに並ぶことになりました。8月は政府提案の法案を審議する特別国会の期間だったのですが、25提出されている中で23番目だったりあまり優先順位が高くありませんでした。
こうした中、モルフォでは全国から障害当事者の仲間を集めてまず8月19日〜20日最初の一斉行動を行いました。サンビト、グアピレス、サンラモン、プンタレナスといったモルフォが直接育てたセンターの人たちが中心に集まって国会でロビーイングを行いました。同じようなロビー活動を8月24日〜25日にも行い、このときには、前コンセホ、再編したCONAPDISの代表フランシスコ・アソフェイファ氏や各党派の代表に要望書を送ったりもしています。
国会で作ったステッカーを議員に配りながら自立法の必要性を説いているのですが、現在までまだ法案の内容の可否を議論するような審議には至っていません。審議はされていますが、それは法案の扱いについての技術的なものです。まず8月27日にこの法案をPlazo cuatrienalという期間に入れるという決議がなされました。これによってこの法案は4年後の2019年8月27日まで国会で廃案になることなく審議できることになりました。
この法案が提出されるタイミングで、同時に「国家リハビリーテーション・特殊教育審議会」=(コンセホ)が先に触れたように「国家障害者審議会」=(CONAPDIS)という組織に再編されたため、この自立法の中で担当機関となっているこの機関の名称を修正する必要がありました。そのため9月2日にいったん本会議から委員会に戻され9月17日に再び本会議に帰って来ました。
このタイミングで事前に準備を重ねて、この自立法に関して最大の行動を起こすことにしていました。できるだけ多くの障害者が国会に駆けつけみんなで国会を障害者の鎖で囲むというもので、実際80名ほどの人が集まりそのうち60人ほどが障害者でした。Diario Extra, ウェンディがなぜ障害者に自立が必要なのか?を語った番組, この日の活動を取材した番組
10月に入った現在はいったん小康状態になっています。今は来年のための予算関係の法案が優先されるということで、次どのタイミングでプレッシャーを掛ければよいかなど、オスカル・ロペス議員のアドバイザーなどと連絡を取りながら時期を見ているところです。ぼくも10月採決があるなら今月いっぱいコスタリカにいようかなと思ったのですが、こうした状態なのでいったん日本に帰ってくることにしました。