おはようございます。ペレスセレドンは雨はまだまだよく降るのですが、晴れるとからっとして何か次の季節が少しずつ近づいている感じがします。
さて、月曜日にここを発って、火曜日から金曜日までニカラグアに行っていました。火曜日の昼頃到着して金曜日の早朝には出発しなくてはいけなかったので、正味2日半の滞在でした。正直ニカラグアはこれまでの研修生たちがみんなばらばらでそれほど進展していないという印象だったのであまり期待して行ったわけではなかったのですが、嬉しい誤算がいくつもありなかなか有意義な訪問になりました。
誤算はまず空港から始まりました。オロンテスとは最近結婚したという連絡もあってフェイスブックなんかでもやり取りはあるんですが、ジョセやディアナとはまったく音信もなかったので、空港にこうしてホセアントニオをはじめ2010年にニカラグアから来たグループが全員迎えに来てくれてるとは思っていなく、意外でしたがめちゃくちゃ嬉しかったですね。
ぼくの中では、ホセアントニオは自分が選んで日本に送った研修生にことごとく裏切られる人徳のないリーダーという固定観念が出来ていたので、実際マナグアに到着して新しく迎えてくれている現実を少しずつ色々話しを聞きながら理解するのにかなり苦労しました。
空港からオロンテスの運転する車で事務所まで。この車はホセアントニオの友人でレンタカー会社を運営する人の所有。オロンテスは大学で法律を勉強した後縫製会社に就職したそうですが解雇に遭って、その後ホセアントニオの口利きでこのレンタカー会社で運転手をしているそうです。車が空いているときは運転手のオロンテスごと事務所の活動に使わしてもらっているとのことです。
きらっと光るMacは日本で買ったもの |
ホセアントニオはもともとニカラグアが米国の傀儡政権に支配されていたときにそれを転覆させるために立ち上がったゲリラ、サンディニスタの闘士でした。79年に革命は成功しサンディニスタ政権が出来た後紆余曲折があったのですが現在はまたそのときの指導者ダニエル・オルテガが大統領をやっています。
活動中に交通事故で障害者になった後、2001年にADIFIMという身体障害者団体を立ち上げ、ニカラグアで一番の勢力にまで育て上げました。しかし2010年メインストリーム協会で自立生活運動の研修を受け、帰国後この団体で実践を始めたところ団体内で孤立、結局クーデターのような形で団体を追い出されることになってしまいました。ぼくがホセアントニオにこうした経緯を確認しても彼自身は否定をしていましたが、翌日訪問したADIFIMではすんなりとそう認めていました。「ADIFIMは障害者みんなが幸せになるのを求めていた、一部の人だけに重点を置く彼のやり方は認められなかった」。
一時ホセアントニオももちろん落ち込んだらしいのですが、すぐに新しい団体「ANDIS・ニカラグア重度身体障害者協会」を立ち上げ自立生活運動に特化した活動を始めました法人格も昨年春に取得することができ2010年に研修に一緒に行ったジョセもこのときから理事に加わって団体の事務局長として働いています。
ニカラグアは貧しい国で活動するには交通費も工面できないくらいなので、介助者に給料を払うこともできません。でも日本の青い芝時代のようにボランティアを募って少しでも障害者が活動できるように活動を始めています。
ニカラグアの自立生活 |
右が理事の一人リリーさん |
脳性麻痺のクリスチャン、左が介助カリーナちゃん |
事務所はホセアントニオの自宅兼用で、ホセアントニオは近いから朝7時から夕方6時まで働いてるよって笑って言ってました。現在の活動はこうした理事の障害者の家に介助者を送ることが主で、コーディネート自体はホセアントニオ自身がやっているみたいでした。リリーさんもクリスチャンもお母さんと二人暮らしで共に高齢で介助できないのでそこに介助者を送っています。なかなかすべての時間をカバーは出来ていないとも言っていました。
嬉しかったのはこうしたボランティアの介助者に混じって、ディアナや去年来たゴルドンが一緒に働いていたことで、理念を理解している人が集まってちゃんとグループになっていることでした。こうしたのを目に出来るとはまったく期待していなかったのでほんとに幸せに感じたし嬉しかったですね。夜はサルバドール・アジェンデ港という新しく整備された港に連れて行ってくれました。夕日がきれいで火山も見えると言ってましたが着いたらすっかり夜でした(笑
介助者の若い衆、左からゴルドン、クリスチャン、コスタリカにも来たエンリケくん |
2日目は、ホセアントニオがもともと創設した団体ADIFIMに言ってきました。ここには2009年に研修に来たグスタボがそのまま勤めています。彼はここ2年ほどずっと体調が悪く一時は生死をさまよったほどだそうでしたが、導尿のカテーテルにしたり何度か手術をしてようやく落ち着いてきたという話しでした。日本に来たときよりかなり痩せて、顔色もまだそれほど元気そうには見えないので、もう少しかかるのかなと思いました。
ADIFIMではホセアントニオに代わって代表になっているペドロさんとグスタボ、秘書的に色々手伝ってくれているクリスティーナさんが迎えてくれました。ADIFIMには、2009年にサンドラがセミナーをやったときに廉田さん、佐藤さん、JICAの西村さんとで訪問したことがありました。このときに知り合ったのが通訳の五十嵐さんでした。
こちらの障害者団体は政府や自治体が企画したプロジェクトを委託してそのマネージメント料をもらうことで資金を作っている場合が多く、現在ホセアントニオのところではHIVの障害者をサポートするプロジェクトを委託していてその収入が3000ドルほどあるそうです。ADIFIMは、昔はたくさんのプロジェクトをやっていたのが今はかなり減っているそうで、それが問題のひとつになっています。ホセアントニオはやはり政治力がある人だとこちらの状況を見ていると感じました。ADIFIMの何人かにはホセアントニオに戻ってきてほしいと言う人もいるらしく、こうしてプロジェクトが減って困窮してきているのをみるとあながち誇張した話しでもなく本当なんだろうなと思えます。
ただ、グスタボ自身には体調を崩してやれていなかったけれど、自立生活のことはやはりやりたいらしく、コスタリカの全国集会にも来たいと言ってました。ホセアントニオとグスタボは親友のような間柄だったので、現在は行き違いがあってまったく連絡もなくなってしまったのですが、それでもお互いがお互いのことをもの凄く気にしているのが、よく分かりました。元に戻ってほしいけれどもう無理なところまで来てしまったのかなと感じることもあり何かひりひりするものに触れたような訪問でした。
さて、3日目最終日は今日本で研修中のプチート、エリエセルが働いているADRNという団体に行ってきました。もともと一人で行く予定だったのですが、ホセアントニオにもいっしょに行ってもらって、プチートが帰ってきたら何か共同でできればいいと下地づくりをしてきました。写真は事務局長のヘノロさんで、他に代表の女性の人がいるらしいのですが、この日は不在でした。ヘノロさんは内戦時代に銃を使った後遺症で耳に障害があるということでしたが軽いものなのでほぼ健常者です。
ホセアントニオに現在やっている活動を説明してもらった後、ぼくの方からメインストリーム協会でやってきたこれまでのニカラグアへの支援を説明した後、プチートが帰ったらぜひいっしょに活動してほしいとお願いしてきました。
ADRNは、規模が1000人ほどの団体で身体障害だけでなく視覚や聴覚の障害者もいるということでした。ニカラグアには多い戦争の後遺症によって負った障害をフォローすることから始まった団体だそうです。ホセアントニオとはもう10年以上の知り合いと言うことです。ホセアントニオはこうしたときにいちいち自分がADIFIMを出た経緯から説明しないといけないので、まだまだ色々たいへんなんだろうなと感じました。
ADRNの後、ホセアントニオと二軒の利用者宅を訪問。クリスチャンの家ではこうやって介助をやってると見せてもらいました。そうしたら2009年のセミナーのときにも、クリスチャンがこうやってやってると見せてくれたのを思い出しました。このときぼくは初めて海外で介助者研修というのをやったんでした。リリーさんのところではお昼をごちそうになってニカラグアの予定は終了しました。
残った時間、ホセアントニオ、介助のクリスチャン、奥さんのアリシアさん、車で2時間ばかし走ったところにあるグラナダという町に連れて行ってくれました。すいません運転してくれた理事のおばさんの名前ちゃんと聞くの忘れちゃいました。グラナダはスペイン人の入植が始まって最も早く建設された町です。落ち着いてゆっくり回りたい町ですね。教会をいくつか回り、最後にニカラグア湖に行ってみんなでボートに乗って、マナグアに着いたら夜でした。
ニカラグアにいる間ホセアントニオとずっといて、思ったのはこの人こんなによく笑う人だったかな〜?ということでした。書いたように一時はずいぶんと落ち込んだみたいですが、事あるごとに「自分の中でADIFIMをやっていた時代は終わったんだ。もう新しい時代が始まっている」と言っていました。そして彼の表情を見ていると何か乗り越えたすがすがしさがあるように見えるし、実際やりたいことがやれているような楽しさが感じられていました。
常々ぼくらはこの仕事は人の人生を変えてしまう仕事だって言われていましたが、ほんとに変えちゃったな〜。でも何だか幸せそうに見えるしよかったかな。
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