こんにちは。いのうえです。
30分ほど前にこちらのバスターミナルまでエリエセルとグスタボを見送って帰ってきたところです。こうして、日本にいて迎えるのではなく送る側になって2年目ですが、まだ何かへんな気分がします。
今回のエリエセルの滞在中、お母さんのようにして一貫して彼の面倒を見ていたのはジゼルでした。今朝もこのように荷物を纏めるのを手伝っています。こうしたのを見ていると、なんかちゃんとピアカンなんかできなくていいんじゃないかなーって思ってきます。
事務所で最後にみんなで別れを言っているときに、ジゼルがちょっとうるっとすることを言いました。「この時をどんだけ待ったことか、エリエセルは最初から日本に研修に送りたいリストにずっと上がってたんだもん」。たしかに、ぼくらがKaloieプロジェクトに関わり始めた4年前ほどから南のヒメネスというところにエリエセルという頸損の青年がいるというのは聞いていました。実際はその後どこかのセミナーで一度ほど顔を合わせただけでしたが、様々な条件が整ってやっと今日の日が来たのでした。
おかしかったのはもう出発するというぎりぎりのときになって、小姑みたいなのがいっぱい出てきて「あんたバッグに名前付けた?ちゃんと付けないとわかんなくなるじゃない!」みたいのあちこち言われて、ただでさえ二人とも初飛行機でドキドキしてるところにさらに慌てさせるようなことになっていました。
名前付けましたTavo のTです。ちなみにスーツケースのぼくのだけど。 |
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