2015年10月2日金曜日

今週のモルフォ


さて、コロンビアから帰ってきて月曜日から出勤、無事に一週間が過ぎようとしています。9月17日の大行動が終わってから、モルフォも少し落ち着いて事務所にいてもゆったりとした空気が流れています。

今週はスタッフ会議を時間の都合で火曜日と木曜日に分けてやり、上の写真は火曜日のものです。この日はアルバイトで雇っている介助者の人の税金の問題が浮上。事業所の登録をやろうとすると付随的に、様々な手続きをしないといけないようになってきています。モルフォの介助者の人たちは、現在独立事業主として働いてもらっていて、本当は入らないといけない保険等をモルフォは免除してもらっている状態です。

しかしながらそれでも独立事業主として、登録して必要経費があれば差し引いて税金を納めないといけないなどの説明がありました。昨日はあるメンバーがタクシーを使いすぎている問題と、アルバイトの介助者に仕事を頼みすぎ、コーディネーターがもっとやるべきでは?などというのが議題でした。


月曜日、これもちょっと暇になって来たからという和やかな歓談シーン。久しぶりに筋ジスのジョバンニにCONAPDISのマウリシオも来ていました。





月末の水曜日はシフトが出る日です。写真のように介助者・利用者が集まって、まず読み上げながら間違いがないか確認し、その時々の問題になっていることを話します。すばらしいですね。



そして今日は理事会メンバーとの会議です。モルフォの代表、副代表、事務局長とアルフォンソ、ジョナタン、フランシスコの理事会メンバーです。これもきっちり一月に一回行われています。



2015年10月1日木曜日

自立法採決に向けて(6)


さて先週コロンビアから帰国し、月曜日から通常どおり出勤してモルフォで働いています。精算の作業に追われていたのですが何とか目途もついて来たので、まず一番気になるのは自立法の進み具合を振り返っておきます。

ぼくがいなかった期間も含めて現在までをおさらいしておきますね。まずこの自立法は、正式には「障害者の自立促進のための法律」といい、#17305という法案番号が振ってあります。国会のホームページがありこの#17305で検索すればこの法案が2009年3月に最初に提案されてから直近まですべての手続きが記録されています。

お蔵入りしてしまう危機を何回か迎えながらも何とか持ちこたえたこの法案を昨年5月に始まった現政権で本格的に法律にする方向になりました。障害者委員会で修正を加えながら議論を重ね、先7月1日に委員会で承認され、8月13日には本会議での審議待ちリストに並ぶことになりました。8月は政府提案の法案を審議する特別国会の期間だったのですが、25提出されている中で23番目だったりあまり優先順位が高くありませんでした。




こうした中、モルフォでは全国から障害当事者の仲間を集めてまず8月19日〜20日最初の一斉行動を行いました。サンビト、グアピレス、サンラモン、プンタレナスといったモルフォが直接育てたセンターの人たちが中心に集まって国会でロビーイングを行いました。同じようなロビー活動を8月24日〜25日にも行い、このときには、前コンセホ、再編したCONAPDISの代表フランシスコ・アソフェイファ氏や各党派の代表に要望書を送ったりもしています。

国会で作ったステッカーを議員に配りながら自立法の必要性を説いているのですが、現在までまだ法案の内容の可否を議論するような審議には至っていません。審議はされていますが、それは法案の扱いについての技術的なものです。まず8月27日にこの法案をPlazo cuatrienalという期間に入れるという決議がなされました。これによってこの法案は4年後の2019年8月27日まで国会で廃案になることなく審議できることになりました。

この法案が提出されるタイミングで、同時に「国家リハビリーテーション・特殊教育審議会」=(コンセホ)が先に触れたように「国家障害者審議会」=(CONAPDIS)という組織に再編されたため、この自立法の中で担当機関となっているこの機関の名称を修正する必要がありました。そのため9月2日にいったん本会議から委員会に戻され9月17日に再び本会議に帰って来ました。



このタイミングで事前に準備を重ねて、この自立法に関して最大の行動を起こすことにしていました。できるだけ多くの障害者が国会に駆けつけみんなで国会を障害者の鎖で囲むというもので、実際80名ほどの人が集まりそのうち60人ほどが障害者でした。Diario Extra, ウェンディがなぜ障害者に自立が必要なのか?を語った番組, この日の活動を取材した番組


10月に入った現在はいったん小康状態になっています。今は来年のための予算関係の法案が優先されるということで、次どのタイミングでプレッシャーを掛ければよいかなど、オスカル・ロペス議員のアドバイザーなどと連絡を取りながら時期を見ているところです。ぼくも10月採決があるなら今月いっぱいコスタリカにいようかなと思ったのですが、こうした状態なのでいったん日本に帰ってくることにしました。

2015年9月30日水曜日

コロンビア出張編(6)


といってももう月曜日からモルフォに帰って働いているのですが。
コロンビアで書き残した小ネタがいくつかあるので、せっかくなので載っけてしまいます。コロンビアには概ね仕事で行ったのですが、3日ほど離れてキブドーという太平洋岸の県にある町に行ってきました。グルーポ・ニーチェというコロンビアのとっても有名なサルサオーケストラがあるんですが、その創設者で3年前に亡くなったハイロ・バレーラというアーティストの出身地なんですねここが。ぼくはずっと彼のことを崇拝していて、この世の中でこういう人になりたいという3人の人物の中の一人でした。

コロンビアは地形も気候も人種もとても多様性に富んだ国ですが、ここは住民のほぼ90%ほどが黒人で、ボゴタやメデジンなどの都市とはまったく違った雰囲気を味わえます。このビデオはバレーラが亡くなってカリという町で埋葬される前に、一度棺が故郷に帰ってきたときの映像です。ここは町の中心にある教会でこうやって彼の作った歌で迎え、また送り出したんですね。もちろんこの教会にも行ってきました。キブドーではぼくが帰る日からお祭りだったのですが、その前日町の子供たちのパレードがありました。めちゃくちゃ可愛かったです。




メデジンにいる間はずっと奥平さんのお宅でお世話になっていました。ポブラードという高級住宅街にあるエステラールという五つ星ホテルとツインタワーのようになったマンションです。ホテルと同じ経営者だそうです。バストイレ付きの一室を使わしてもらったのですが、ベッドがめちゃくちゃでかくて、ユースホステルを使う感覚で一瞬シーツ持参で行こうかなって思ったんですけど、3枚くらい必要だったですね笑。


だいたい一緒に帰って、買い物行ってご飯作ってワインで一杯という生活でした。アメリカ時代のことやもちろんダスキン研修のことなどゆっくりお話を伺えて、ほんとうに貴重な時間を過ごさせてもらいました。とくに、メデジンとブカラマンガで奥平さんがこれから運動を進めて行くにはいいんじゃないかと目を付けていた当事者に一緒に会いに行って、一部通訳もさせてもらったりしました。話しをしているうちにそれぞれがすでにしっかり運動に関わっていることがわかり、彼らの話からコロンビアの障害者の実態が見えてきてものすごく楽しい時間を過ごせました。何だか奥平さんがダスキンの研修生を選ぶ面接に同行させてもらっているようでとても光栄に思いました。どうもありがとうございました。




エルカルメンデチュクリに行く前は、ジュディ・ヒューマンにプレゼンの資料をチェックさせてるって言ってました笑。うまく写真では見えないかも知れないですが、すげー。ふつーにジュディ・ヒューマンとSkypeしてるー。でも、資料はアカデミック過ぎるから、もっと自分の話をしろって、廉田さんに言われるようなことを言われてました笑。























JICAの仕事でプロジェクトをやっていると様々な日本人関係者とも繋がりができます。上はプロジェクトの同僚上條さん。フェリーサとのコンビでボリビアに障害者手帳を導入した功労者です。すでにコロンビアでも何人分もの仕事をしているように見えました。ずっと何年も前からフェリーサから話しは聞いていたんですがやっと会えました。しかもコロンビアで。

協力隊員の方々とのお食事会。左はこのメデジンの大学でスペイン語を勉強しているあかりさん。現在唯一の奥平さんの介助者です。隔日で来て家事の補助をしてくれています。






エルカルメンデチュクリでの一コマ。ここはほんとに田舎町で、夜ごはんにふらっと出ると寒くなく暑くなく、ゆったりとした空気が流れていてとても心地よかったです。
町の少年少女に囲まれるカウンターパートのレイディさん。普段はボゴタの紛争被害者支援ユニットで働いていますが、このJICAプロジェクトの直接の担当者です。この町でJICAの協力隊員として働いている伊藤さん。町のすべての住民と知り合いのようでまるでアイドルのようにみんなから声を掛けられていました。じつは、岸和田出身のコテコテの関西人であることが判明。レイディは2月に日本に研修に行くことが決まっていて、メインストリームにも行くことになっています。伊藤さん直伝の関西弁も特訓中なので来たらみんなで試してみようね。


キブドー教会の内部


2015年9月27日日曜日

コロンビア出張編(5)


月曜日のエルカルメンデチュクリでの研修の翌日、山ちゃんやカウンターパートのレイディさんはそのまま金曜日まで研修を続けていたのですが、奥平さんとぼくは一足先にブカラマンガへ。朝8時に再び5時間の道のりを戻っていきました。

この日はブカラマンガで、ヘンリーという脊椎損傷の障害者団体の代表と話しをする予定で、約束の2時に一時間ほど前に着いたので食事をして、写真のファン・バルデスのカフェテリアで待っていました。写真は右からマリアデルピラールさん、この日の会談相手ヘンリー、彼の協力者で理学療法士のオルガさん、通訳のルイス・ミゲル、マリアデルピラールさんの大学の仲間で、バリアフリーを研究しているという男性(名前忘れちゃいました)です。

このプロジェクトはメデジンに近いグラナダと、ブカラマンガと同じサンタンデール県にあるエルカルメンデチュクリと2つのサイトを対象に紛争被害者である障害者を支援していくものであります。現在そのそれぞれのサイトで細かく障害者を探してリストにしていることはすでにお伝えしました。プロジェクトでは、このサイトで当事者団体を作って、ピアサポート的な手法でエンパワメントしていき、最終的にここの障害者の自己肯定感が高まるという風に計画されています。しかしながら、現在半年経ったプロジェクト関係者の感触として、想像以上に障害者の数が少ない、とくに紛争で身体に障害を負った人たちは、メデジンやブカラマンガの大きな病院で治療を受け、そのまま帰ってこないことが多いので、さらに数が少なくなっている、などという問題が出てきており、このサイト内で団体設立はむつかしいと考えられ始めています。


向こう側ブカラマンガ〜エルカルメンを往復してくれたダニエル。
奥平さんたちは、そこでサイトに近く県庁所在地でもあるメデジン、ブカラマンガに団体を作って支援をし、そこの障害者をとおして、2つのサイトの障害者をケアしていこうという方針に転換していくことを考えています。この出張編(3)で会ったヘルマンや今回のヘンリーは奥平さんがこれまで会った障害者の中でもリーダー候補として有望な人で、そこからまた彼らの知っている障害者に声をかけてもらい、まずリーダー養成研修を行い、その後はさらに広く障害者を募ってもっと大きな規模のセミナーを開こうという計画になっています。

今回コロンビアに来て何となくこの国の障害者運動の大まかな構図というのが見えてきました。大統領府にはファン・パブロ・サラサールという頸椎損傷の当事者が障害者インクルージョンの担当としているのを初めとして、ボゴタにはアイデーのグループがあり、メデジンのヘルマン、ブカラマンガにはヘンリーがいます。ちなににメインストリームで研修したオマールもブカラマンガ出身で現在ここにいるということです。今回は会えなかったですが。カリにはアンドレス・イギータとモントーヤもいて、全国的にそこそこ障害者運動をやっているリーダーたちがいるということ、彼らが、国連の障害者権利条約を国に遵守させるよう要求するネットワークを作っていることなども分かってきました。コロンビアではすでに権利条約を国内法に適応しないといけないということを記した1618号法というのも存在して、彼らはこれをもとに交渉を行っています。

ただ奥平さんの目から見て、そのリーダーたちがみんなばらばらで活動しているのが問題で、そうした状況をよくないと思いながらもこちらのリーダーたちも認めてしまっています。これからの流れですが、先に書いたような研修をつづけて、できるだけ奥平さんのできることをやってもらってその後2月に廉田+メインストリーム協会メンバーが、本格的に自立生活運動の考え方を障害者と政府関係者に伝える。来年度さらにこれを全国的に拡げていき、できればKaloieのときのように日本での地域研修にまで繋げていきたいと思っているのですが、ここまではまだはっきりしたことは言えません。


法律を書いた研修用の冊子を奥平さんに献本中

ヘンリーの話では、一般の障害者に対する施策がほぼゼロに近いので、みんなむしろ紛争被害者になりたがっており、その方が優先的に住居をもらえたり、補償金がもらえたりするので、嘘をついてなる人もいるそうです。紛争被害障害者の一般社会への復帰をめざすこのプロジェクトですが、むしろ紛争被害障害者になる人の方が多いという倒錯した状況もあって、かなり複雑なことになっているのですが、方向性としては安心して普通の障害者として暮らせるように国全体の障害者施策の向上を狙っていくというごく当たり前の戦略を取らざるを得ないのが、ぼくもそうですがプロジェクトが今考えていることのようです。

2015年9月24日木曜日

コロンビア出張編(4)


ちょっと時間が空いてしまいましたが、日曜日からこのコロンビアのプロジェクトの本当の対象地域であるエルカルメンデチュクリに行ってきました。メデジンから定員25名ほどの小型飛行機に乗ってまずブカラマンガというベネズエラに近い町まで。そこから車に乗りかえて5時間行ったところにあります。

このプロジェクトは障害者の支援なのですが、その中でも50年間続いてきた政府とゲリラの内戦によって障害を負った障害者を対象にしています(めでたく昨日キューバでこの2年あまり続けられてきた和平交渉が合意に達しました)。プロジェクトではこのエルカルメンデチュクリとメデジンに近いグラナダという二つの町をサイトにしています。現在はこの二つの町でもともとあるリストを元に障害者がどれだけいるか、そのうち紛争で被害を受けた障害者がどれだけいるかを一軒一軒足を運びながらデータ化する作業を終えようとしているところです。

今回の訪問の目的は、これからこれでできた障害者のリストに上がった人たちにアンケートをしていくのですが、その調査員の候補者に対する研修が一週間あり、奥平さんはその中でソーシャルインクルーションについて講義を任されていました。



ちょっとこの日は、まだこのあたりに敷設したままになっている地雷についての知識や注意点を講義するためにボゴタとインターネットを繋いで行う作業がうまくいかず、奥平さんの講義の時間がかなり大幅に縮小しなくてはならなくなり、多少年燃焼不足なところはあったのですが、それでも当事者が話すことでこの日のメニューでは一番盛りあがってました。


















この日は他に、結局延期になった地雷についてのレクチャーと、紛争被害者支援ユニットの担当者が行うインタビューの際に心がけなければならない配慮注意点のレクチャー、上の写真はブカラマンガの大学の先生マリア・デル・ピラールさんによる障害種別のレクチャーなどがありました。マリア・デル・ピラールさんとはぼくはすでにボゴタのメンバーを通じてネット上では知り合いになっていたのですがやっと実物に会うことができました。



















その他、3月にメインストリームに来てくれた専門家の山ちゃん。プロジェクト実施と同時にエルカルメンにボランティアに入った伊藤さん、カウンターパートである紛争被害者支援ユニットでプロジェクトの直接の担当者になったレイディーさんなど、このプロジェクトに関わっている人とも会うことができました。


2015年9月16日水曜日

コロンビア出張編(3)


さて、今朝「コロンビア出張編(2)」を書いてアップした後、午後からアミーゴス協会という団体に奥平さんがここメデジンでリーダー候補として目を付けているヘルマンという男の人に会いに行ってきました。

奥平さんは常々コロンビアで障害者運動するのはむつかしいじゃないかと仰っていたので、あまり期待せずに行ったのですが、いい意味で裏切られた結果になりました。ヘルマンは現在37歳、受傷して20年の脊椎損傷です。アミーゴス協会は障害者の当事者団体ではなく、健常者が障害者の支援のために設立した団体ですが、リハビリも提供するメデジンでは一番大きな障害者関係の団体です。ヘルマンはここであるプロジェクトに関わっている間雇用されるような形で所属しているらしいのですが、基本はフリーランスで障害者の権利やアクセスの問題について講義をしたりしているとのことでした。



奥平さんはすでに何回か会っていい感触を持っているようで、今回の訪問は来月リーダー育成のためのセミナーをするので、ヘルマンを含め何人か集めてセミナーに連れてきてほしいと依頼をすることでした。合計10名ほどのセミナーでヘルマンには5人ほど集めてほしいと依頼をしました。この中から、日本に送る障害当事者を選ぶことになるということでした。

2時間ほどの面会で、これだけでどういう人物かを判断するのはできないのですが、ぼくの第一印象もとてもいいものでした。柔らかい話し方をする人で、人として素直な感じがしました。すでに活動家としてコロンビア全体にネットワークを持っていることや、メデジンでも自立法に類した法律が地方レベルで議論されているらしく、それを障害者の立場から意見を挟むネットワークにも所属していることなど、話しからすでに障害者運動が彼の日常になっていることがよく覗えました。

奥平さんの側からは、次回のセミナーの参加依頼と、その後それを元に作ったグループでもっと大きいセミナーを共同で開催したい。将来的にはそのファシリテーターを任せることも考えたい。そしてそのグループが自立生活センターを作るところまで行ってくれれば嬉しいつ伝えました。



















コロンビアで障害者運動がむつかしいと言われる理由の一つには、みんながリーダーになりたがって、それに従う人がおらず結局みんな一匹狼で活動しているからということがあります。ヘルマンもそうなのですが、こちら側からは、組織の運営のサポートもできるので、ぜひ組織だって交渉できるような団体を作ることをやってほしいなどと伝えました。

今週末からはブカラマンガという町に行き、別な障害当事者にインタビューをしにいくことになっているのですが、ヘンリーというその男性ともすでに一緒に活動しており、一番やりやすい仲間であると言っていました。

お伝えしたようにボゴタにすでにグループができつつあり、奥平さんのプロジェクトを中心にメデジンとブカラマンガに団体ができると、コロンビアの自立生活運動は一気に進む可能性が見えてきました。何だかそういうことを想像しながら奥平さんの通訳をしていると、それだけでわくわくして嬉しい気持ちになって来ました。めちゃくちゃ楽しい一時でした。


コロンビア出張編(2)


月曜日の夜にここメデジンに到着しました。現在奥平さん宅にお世話になっています。毎晩ワインいただいてますね笑。

さて、こちらに来てからは、他のプロジェクトの職員の方々は地方に出張中であったりして、ずっと奥平さんと情報交換をしているだけなので、まだあまりこれといった出来事はありません。



奥平さんとっても素敵なマンションに住んでおられて、ベッドは大きいし部屋にバストイレ付きで、メデジンの気候の良さも相まってこちらに来て生き返ったような気分です。














良知さんもブログで報告してくれていた、車椅子タクシーでの出勤風景です。職場のすぐ近くは広場になっていてフェルナンド・ボテロというコロンビアの有名な画家の美術館になっています。まだ行っていないですが帰るまでに行ってみたいです。


奥平さんとの話の内容ですが、ボゴタのグループの印象から始まって、こちらのプロジェクトの進行の様子など、様々なことを話しています。

ざっと大ざっぱに説明しておくと、このプロジェクトには対象になる地域が2つあります。エルカルメン・デ・チュクリという町とグラナダという町で共に人口数万人の小さな町でそれぞれ、ブカラマンガという町とここメデジンという大きな町のそばにあります。

元々のプロジェクトの計画では、そのプロジェクトの対象地域の小さな町で障害当事者を探して支援のできるグループを作っていき、ゆくゆくは自立生活まで持って行ければというものでした。このプロジェクトは4月に始まっており約半年たった実情は、町の規模から行ってもその町でリーダーになるような障害者を見つけることは困難で、これからそのブカラマンガとメデジンを中心に当事者グループを育成していく方向にやや転換していくことになりそうということでした。ということで、ボゴタのグループをプロジェクトで直接サポートすることは難しい様子でした。

今後このプロジェクトを中心としてメインストリーム協会やモルフォと協力してやれることを探るというのが今回の訪問の目的ですが、いくつかこちらから提案していることを書いておきます。まだはっきりやれるかどうかは分からないですが、感触は悪くなかったです。

1)このプロジェクトからの研修団を派遣する。当事者を3人とこちらのカウンターパートである紛争被害者補償ユニットの責任者の方を日本に派遣して研修してもらうのですが、その中の研修先にメインストリームが入っています。これは今年度中に実施される予定です。


2)廉田及びメインストリーム協会メンバーによる自立生活セミナー。ボゴタ、メデジンで開催し、プロジェクトサイトであるグラナダを訪問する。来年2月のコスタリカ訪問に絡めてできないか調整中です。

3)こちらのプロジェクトの方にモルフォを視察してもらう。日本まで行かなくても自立生活センターがどんなものか一見してわかってもらうことができます。これは来年度以降になりそうです。

奥平さんは今後ご自身で障害者の研修をしていく計画だそうで、その中でボゴタのグループのフォローもお願いしておきました。さらに今回カリの研修生たちのところには行けなかったので、今度行ったときには会えるようにセッティングしようと考えています。