2015年9月30日水曜日

コロンビア出張編(6)


といってももう月曜日からモルフォに帰って働いているのですが。
コロンビアで書き残した小ネタがいくつかあるので、せっかくなので載っけてしまいます。コロンビアには概ね仕事で行ったのですが、3日ほど離れてキブドーという太平洋岸の県にある町に行ってきました。グルーポ・ニーチェというコロンビアのとっても有名なサルサオーケストラがあるんですが、その創設者で3年前に亡くなったハイロ・バレーラというアーティストの出身地なんですねここが。ぼくはずっと彼のことを崇拝していて、この世の中でこういう人になりたいという3人の人物の中の一人でした。

コロンビアは地形も気候も人種もとても多様性に富んだ国ですが、ここは住民のほぼ90%ほどが黒人で、ボゴタやメデジンなどの都市とはまったく違った雰囲気を味わえます。このビデオはバレーラが亡くなってカリという町で埋葬される前に、一度棺が故郷に帰ってきたときの映像です。ここは町の中心にある教会でこうやって彼の作った歌で迎え、また送り出したんですね。もちろんこの教会にも行ってきました。キブドーではぼくが帰る日からお祭りだったのですが、その前日町の子供たちのパレードがありました。めちゃくちゃ可愛かったです。




メデジンにいる間はずっと奥平さんのお宅でお世話になっていました。ポブラードという高級住宅街にあるエステラールという五つ星ホテルとツインタワーのようになったマンションです。ホテルと同じ経営者だそうです。バストイレ付きの一室を使わしてもらったのですが、ベッドがめちゃくちゃでかくて、ユースホステルを使う感覚で一瞬シーツ持参で行こうかなって思ったんですけど、3枚くらい必要だったですね笑。


だいたい一緒に帰って、買い物行ってご飯作ってワインで一杯という生活でした。アメリカ時代のことやもちろんダスキン研修のことなどゆっくりお話を伺えて、ほんとうに貴重な時間を過ごさせてもらいました。とくに、メデジンとブカラマンガで奥平さんがこれから運動を進めて行くにはいいんじゃないかと目を付けていた当事者に一緒に会いに行って、一部通訳もさせてもらったりしました。話しをしているうちにそれぞれがすでにしっかり運動に関わっていることがわかり、彼らの話からコロンビアの障害者の実態が見えてきてものすごく楽しい時間を過ごせました。何だか奥平さんがダスキンの研修生を選ぶ面接に同行させてもらっているようでとても光栄に思いました。どうもありがとうございました。




エルカルメンデチュクリに行く前は、ジュディ・ヒューマンにプレゼンの資料をチェックさせてるって言ってました笑。うまく写真では見えないかも知れないですが、すげー。ふつーにジュディ・ヒューマンとSkypeしてるー。でも、資料はアカデミック過ぎるから、もっと自分の話をしろって、廉田さんに言われるようなことを言われてました笑。























JICAの仕事でプロジェクトをやっていると様々な日本人関係者とも繋がりができます。上はプロジェクトの同僚上條さん。フェリーサとのコンビでボリビアに障害者手帳を導入した功労者です。すでにコロンビアでも何人分もの仕事をしているように見えました。ずっと何年も前からフェリーサから話しは聞いていたんですがやっと会えました。しかもコロンビアで。

協力隊員の方々とのお食事会。左はこのメデジンの大学でスペイン語を勉強しているあかりさん。現在唯一の奥平さんの介助者です。隔日で来て家事の補助をしてくれています。






エルカルメンデチュクリでの一コマ。ここはほんとに田舎町で、夜ごはんにふらっと出ると寒くなく暑くなく、ゆったりとした空気が流れていてとても心地よかったです。
町の少年少女に囲まれるカウンターパートのレイディさん。普段はボゴタの紛争被害者支援ユニットで働いていますが、このJICAプロジェクトの直接の担当者です。この町でJICAの協力隊員として働いている伊藤さん。町のすべての住民と知り合いのようでまるでアイドルのようにみんなから声を掛けられていました。じつは、岸和田出身のコテコテの関西人であることが判明。レイディは2月に日本に研修に行くことが決まっていて、メインストリームにも行くことになっています。伊藤さん直伝の関西弁も特訓中なので来たらみんなで試してみようね。


キブドー教会の内部


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