2015年9月13日日曜日

コロンビア出張編(1)


現在朝の10時ぼくはコロンビアの首都ボゴタにいます。
金曜日の午後について、これから25日までコロンビアに滞在します。明日の朝には元リハビリテーション協議会の奥平さんが働いているメデジンに移動することになっています。今回の目的は1)ボゴタで自立生活運動を始めたばかりのグループがどんか活動をしているか見に行く2)奥平さんが働いているJICAの紛争被害者の社会復帰促進のプロジェクトを見学する3)チョコーという太平洋岸の黒人が多く住む地域に旅行に行く、とまあおおざっぱに3つの目的で来ました。

ぼくがコロンビアに来るのはこれで人生で3回目になります。じつは昨年ボリビアに行った帰りに乗り換えで一瞬空港に降りたのですが、それは入国してないのでカウントしないとするとその前は、じつに23年前になります。それはチリで勉強していた帰りにメキシコを経由するので便の都合で、一泊ボゴタに宿泊するというものでそれも一瞬でした。その前が初めて南米を旅行したときで1988年1月のことでした。バランキージャというカリブ海岸の町からバスでボゴタに到着したのですが、もう変わっているのかどうなのかも分からないくらいの昔ですね。人が親切だったという記憶だけはずっと残っていて、今回の短い滞在でもそれは変わっていませんでした。


さて、では早速昨日ボゴタの自立生活運動グループと会いに脳性麻痺の障害者アイデーの家に行ってきたので、その報告をします。アイデー(Aydee Ramirez)とは、今年の初めくらいだったか、モルフォに自立生活運動について教えてほしいというメールが来たのがきっかけで知り合いました。日本で研修した人がどれだけいるかというような内容だったので、ぼくが対応してやりとりを始めました。

彼女とやりとりしているうちに少しずつコロンビアの障害者運動の中身が分かって来ました。まず、これまで日本で研修を受けた人たちはあまり積極的には自立生活運動の活動をやっていない。これはある程度ぼくも分かってはいたことですが、あらためて知らされた感じでした。

その一方、障害当事者も入ったグループが、コスタリカの自立法に似た障害者に対する介助派遣を含んだ法律を用意しているとのことで、それはすでに立法府の議員に手渡され、現在修正中である。それには、現在大統領府の障害者施策のアドバイザーとしてファン・パブロ・サラサールというコロンビアで一番大きな障害者支援団体の代表だった人物が入っており、彼の意向が入っているとのことでした。

アイデーたちのグループはこの法律を元にして、JICAの支援を受け自立生活センターを設立したいという考えを持って活動をしようとしていました。

















ぼくの方からは、法律ができるのはいいことなので、それはそれでいいとして、何もないところで法律だけできることは考えにくいから、ボランティアでもいいので障害者が介助を使って生活している実態を少しずつでも作って行ってほうがいい。JICAの支援を得るためには、彼女らだけでなく、日本で自立生活の研修を受けた人を交えていった方が受け入れられやすいだろうなどを伝え、彼女らは実際そうして、JICAとコンタクトを取って話しを聞いてもらうことができました。4月から赴任した奥平さんとも面会する機会も持てました。

ここまでがこれまでのおおざっぱな流れでした。ぼくの目からはアイデーはこれまでの誰よりも自立生活運動を必要としていて熱心に進めていこうとしている人材に見え、何か力になりたいと思って来ました。ただ、心配があったとすれば彼女の周囲の人がどんな人たちでまとまってグループとして活動していけそうなのかという点でした。

会合はいつもアイデーの家で行われているようで、昨日もそうでした。アイデーの家はボゴタの北の端のサン・アントニオ・ノルテという地域にあります。ボゴタは巨大な町で、町の中心からここまで来るのに約1時間ほどかかり、逆の端まで行くのには2時間かかるそうです。

バスで来た方が安くつくと言われたのですが、着いたばかりのぼくには複雑すぎてシステムが理解できず、ホテルの人に訊いてもタクシーで行った方がいいと言われたので、タクシーで行くことにしました。それでも40分ほどかかったでしょうか。10時の約束の少し前に到着することができました。

アイデーの家は日本でいう団地の一室。どちらかというと質素な家庭でお母さんと二人で生活しています。この日集まってくれたのは、アイデーとフリアンという受傷12年の頸椎損傷の男性、それに支援者としてナンシーという看護士をしている女性と、日本にも介助者としてきたホルヘ・アルマンドさんです。さらに午後からファニーというソーシャルワーカーをしている全盲の女の子が加わりました。アイデーの団体で理事をしているのはあと一人この日は来れなかった女性がいるそうで、障害者のメンバーが現在計4名の団体です。


到着してから、お母さんが作ってくれた昼食を挟んで夕方5時過ぎまでずっとしゃべりっぱなしで、メモを取る暇もなかったのですが、だいたいコロンビアの障害者の実態を知ることができました。

コロンビアは長い間内戦を続けていて、国は疲弊してはいますがここ数年は経済発展もしており町は急激にモダンに変化しています。帰りにフリアンの家族の車で送ってもらっているときにも前の方に、「ほら今ラテンアメリカで一番高いビルを作っているんだ」みたいなことが色々話されていました。

しかしながら、そうしたところからの恩恵は障害者にはほぼ行っていないようでした。障害者の年金の制度はいまだ存在せず、障害者の面倒はほぼ家族の責任となっている。さらに、「ヘルパー」と呼ばれるあたかも職業があるように言われているのですがそれは、実質は家族の事に他ならないということです。

さらに、他の国にはある例えばコスタリカのCONAPDISのような機関がコロンビアには存在せず、管轄はほぼ保健省など医療系の機関が行っている。なので仮にファン・パブロ・サラサールのいる大統領府主導で、障害者のモデルを医療モデルから社会モデルに変えようとしても、それを実際に施行していける機関が存在しないという怖れがあります。

今回コスタリカに来てから、奥平さんとも何度かメールをやり取りしているのですが、その中でコロンビアで障害者運動を始めるのは難しいのではないかと漏らされていたのが、このあたりの理由にもよるのだろうなと思って聞いていました。

それでも、メンバーはとてもみんな熱心で、質問はどんどん来るし、逆にぼくの方も家訓したいことがたくさんあるので、時間はあっという間に過ぎて行きました。そうした間に、もうこのグループに対する愛情のようなもんが沸いてきていて、なんとか力になりたいもんだと思って帰って来ました。

それは、この中で実際に日本で研修を受けたことがあるのはホルヘ・アルマンドさんだけなのに色々分からないことがある中、熱心に知ろうとしてくれ、何となく感触にしか過ぎないのですが、ナンシーとホルヘ・アルマンドの健常者も含めて、この活動が本当に必要であると考えていて、やっていきたいというのはしっかり伝わって来ていたからです。それと、頸損のフリアンとはこれまであまりやり取りがなかったのですが、いい青年で真面目でいい人材だなと思いました。遅れてきたファニーもとても興味を持ってくれたようで、明るくムードメーカー的なところがあって、何だか一緒にいて楽しいいいグループだなという印象でした。

たしかにJICAの技術プロジェクトも始まり支援は受けやすい環境ではあるとは思いますが、プロジェクトの目的とは直接つながりはなく、それをあてにしてばかりいてはいけないことや、自分でJICAなどに行ってみてたとえばモルフォを見学できるような支援ができないかどうか訊ねてみたりしてみてほしいこと、JICAや日本の支援だけでなくAblilisなどその他の国の支援団体にもあたってみてほしいこと、もっと外に出て積極的に活動を広めてほしいことなどを伝えて帰りました。

上に書いたような状況で、実際今すぐできる活動はあまりなく資金がなければ色々むつかしいことばかりなのは分かっていますが、最後にこの活動はやっていく甲斐があるもんだろうか?って訊かれたのでここでそれ?って思いながら、ここでやめたら現状は今のままだし、つづけていたらそれでも何かになってると思うと、佐藤さんがいつも言っていた言葉を残して帰って来た次第です。

何ともまだ分からないけれど、でも何か始まりそうな雰囲気。ちょっとわくわくしてとっても充実した一日でした。


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