2014年8月19日火曜日

ボリビア出張編(9)JICAボリビア訪問


さて、いよいよボリビア最終日です。今回のボリビア訪問は、もともとフェリーサが日本での地域研修をもう一度復活させたいということで、その可能性を探るためにJICAに行くという話から始まりました。ここまでたどり着くのが長かったですけどやっと来ました。

こっちに来てからパターンがあって、待ち合わせをする→フェリーサたちが遅れる→ぼくはややゆっくり目に行くことにする→でもやっぱりぼくが先に着いてしまう、というのですが、昨夜は遅くまでカラオケに行っていてさらにその後ディスコテカに行って、そこがたまたま早くしまったので2時頃に解散でした。

明日は日本人だから10分前には着いとかないとねとか、11時のアポイントメントなのに、9時半にはホテルに迎えに行くからとか色々言っていて、さすがに今日は時間どおりに来るだろうなと思っていました。結局ぼくはホテルから別に行くことにしたのですが、JICAボリビア事務所は前回訪問した事務所から移転していて、セントロからやや離れた新しく造成されている新市街になっていました。それが朝の渋滞も重なって想像以上に時間がかかりぼくが到着したのが11時ジャスト、結局彼らが着いたのは10分ほど経ってからでした。ヘラルドが着くなり「何かコメントは?」って言ったんですが、ないですよ今さら(笑、

さて15分くらいして始まった会合ですが、対応してくれたのは山本所長といつもフェリーサたちを応援してくれているモニカさん。ポイントは以下のようになりました。
選択肢は3つある。
1)日本での地域研修の復活
2)コスタリカを絡めた第3国研修
3)ボリビア国内での研修

1)はまず一番難しいだろうということでした。6年間やった後の評価がどうだったかが問題になる。おそらく評価がよかったら引き続きやっていただろうというのが言外にあるように思いました。

2)可能性としてはこれが現実的だという所長のお話でした。プロセスとしては、コンセホがやっていたプロジェクトの普及を図るために研修をやりたいというのをまずコスタリカ側から要請を上げ、JICAがそれを企画する。モルフォのメンバーが研修の主体になって、日本から専門家を呼ぶことも可能。ラテンアメリカから広く参加者を集めることになる。

3)帰国研修員らが研修の成果を普及するという名目で、研修の主体になるボリビア国内に広めるのが主な目的だが、周辺の国から参加者を募集することも不可能ではない。これも日本からオブザーバーとしてメインストリームメンバーを呼ぶこともできる。今こつこつとフェリーサたちがやっている活動を、JICAの資金を使ってやることができることになるが、この制度は一度東京の本部にあげてそこで一括に選考されるので、当選する確率は低くなる。

ざっとこんな結果で、正直めちゃくちゃ新しい情報は少なかったかなとは思いました。それでも、帰国研修員4人が一度にこうしてラパスに集まるのは初めてらしく、JICAの方と顔合わせをしておいたり、意気込みを見せておけたのはよかったかなと思いました。近くのレストランで昼食をとりながら、とくにどれに絞るのではなくできるものは全部やったらいいのではないかという話をしました。















帰りはボリビアで初めてのリフト付きバスに乗ってセントロまで帰って来ました。ちょうど昼のラッシュにあたって、最初数台は当たり前に乗せてもらえないような状況でした。その後やっと乗れるかなと思ったら、やはりふつうにリフトが作動するものは皆無でした。アルミンダ、フェリーサ、ガリとそれぞれ分かれて乗ったのですが、乗務員が操作の仕方を知らなかったり、知っててもちゃんと動かなかったりでした。やはり物珍しいようで、操作に苦労しているとそのうち人だかりが出来て、みんな写真撮ってましたね。


これは車椅子専用を示すシールですがおもしろいのは、左がスペイン語、右がアイマラ語なんですね、ポトシでみんなが当たり前にケチュア語を話しているということを書きましたけれど、ここはアイマラ語圏なので、アイマラ語で表示がされています。バスに乗りながらフェリーサとヘラルドとそんな話をしながら帰っていました。それによれば、今は公務員になるにはスペイン語の他に、ケチュアやアイマラなど先住民の言葉ができるのが条件になっているそうで、フェリーサの4人の姉妹は下になるほどケチュア語を話せなくなっているらしいのですが、一番下の妹が医者で今になってケチュア語を覚えなくてはならなくなっているらしく、お母さんにケチュア語で話してって頼んでるということでした。

しかし、これだけ多くの人が先住民の言葉で話しているにもかかわらず、現在のエボ・モラレスが大統領になる以前はスペイン語以外の情報はまったくなかったらしく、障害者に対する政策も同じで、十分ではないがこの政権になって始めて障害者の政策というものができ、これは大きな事だとフェリーサは話していました。こうした色んな国の状況が分かってくるにつれこの国に対する興味がどんどん深まって来ました。この国はほんとに面白いです。






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